「止まれ!」
藪の中からの声にセシルは立ち止まった。
「誰だ!」
「私はセシル。同志キルゼに賛同するものよ」
誰何に応えて言う。しばらくして藪が鳴り若い男が姿を現した。
「セシル様ですね。失礼いたしました。こちらへどうぞ」
軽く頭を下げ、言って藪の中を指し示す。どうやらこの奥が目指す場所らしい。
あの日から数日が経過していた。連絡もなく安否もわからない自分をみな、心配しているはずだ。
木の合間に目を凝らすが建物らしきものはまだ見えない。焦っているのだろう、覚えず早足になる。
セシルは先に立ち案内する青年の背中を無心で追い、森の中へと分け入っていった。
「ここまででよい」
「いえしかし…」
城の門をくぐった所で振り返ってそう言い、立去ろうとするセシルに隊長が慌てて追いすがった。
「お一人では危険です」
「ここはそんなに危険なところなのか、貴公らが警備するこの城が?」
冷たく言い放つセシルに言い返せず、隊長が言葉に詰まる。
その隙にさっさと歩き出してしまう。なおも追ってこようとした隊長を手で制し、ひとりになる。
城の周りにはぐるりと高い塀が二つ同心円状にそびえている。
それぞれの塀には門が一つずつあり、外側から一の門、二の門と名付けられている。
貴族達の屋敷は一の門の内側に、城と公族の屋敷は二の門の内側に作られていた。
その二の門を見張りの兵の最敬礼に答えながらくぐり、自分の屋敷へと向かう。
屋敷に着くと入り口に公王の侍従がいるのが見えた。嘆息しながら近づく。
向こうもこちらに気付いたようで深々と礼をする。
「何かしらこんな遅くに」
問うセシルに再び深々と礼をし、侍従は何かを読み上げるような口調で話し始めた。
「夜分遅くに申し訳ありませんが、陛下がセシリア様をお呼びになっております。急ぎ謁見室までとのことです」
この狙いすましたかのようなタイミングは偶然ではないだろう。
恐らく近衛兵と共に帰ってきたセシルを見たお節介な誰かが、注進に走ったに違いない。
その誰かは恐らくはそれまでの事の次第まで聞き込んで行ったのだろう。
「わかりました」
仕方がない、行かなくては。
帰っていく侍従を見送ることなく屋敷に入り、出迎えた召使い達がその格好に驚くのを無視して進む。
普段から動きやすい服装を好むセシルは男装をすることが多かったが、
それらは上等な布地で仕立てられた貴族の子弟のそれであった。
さすがに街に行くような服装など見せたら一瞬で噂が広まってしまうのでこっそりと着替えていた。
そんなこととは知らない召使い達が驚くのは当然である。
が、もう気にもならない。
我に返り着替えを手伝おうとするのを断って部屋に入り、休むことなく着替えて屋敷を出る。疲れは感じなかった。
謁見室の入り口で文官に来訪を告げ、中に入り、取次ぎを経て王が来るまでしばらく待つ。
が、慣れているのでどうということもない。
背後で扉の開く音がした。
振り返ると、先ほど入ってきた扉から誰かが入ってくる。しかし薄暗いので誰かわからない。
王ではない、王は一段高いところにある別の扉から入ってくるからだ。
その人物はこちらへと歩いてくる。
謁見室は広いのでまだ少し距離があったが、近づくに従い顔が見えるようになる。
「お兄様」
「街中は楽しかったか?セシリア」
セシルより頭二つ分ほど高い兄はいつも近くまで来て見下ろすようにして話す。
見上げて話すと首が疲れるので、セシルは大抵兄の胸の辺りを見るようにしていた。
今もそうしているが何か落ち着かない。体が緊張しているのがわかる。
それはいつものことだった。兄からうける理由なき圧迫感は年とともに増していた。
顔を見ないで話すのもあながち疲れるからという理由だけではないことを今のセシルは知っていた。
「庶民の暮らしはどうだ?」
今も優しく言葉をかけてくれているのだが、なぜだかそうは思えない。
そう、まるで愚かな妹を哀れんでいるような…暗い…
「陛下がいらっしゃいます!」
声にはっとする。と同時に膝が崩れそうになった。自分がどれだけ緊張していたのかがわかる。
震えそうな膝を何とか動かして左膝をつく。
左をつくのは右をつくより前に―王の下へ―飛び出す力が弱くなるからだ。隣で兄が同じようにするのが見えた。
奥の扉が開き王が入ってくる。二人は頭を垂れた。
「セシリア、話は聞いたぞ」
こちらが挨拶をする前に話を切り出される。
豪奢な椅子にゆったりと座り、肘掛に腕を乗せて、王は呆れたように言った。
「お前は自分を何と心得ておるのか。平民どもに交じるなど、公位継承者のすることとは思えぬ」
その言葉に思わず顔を上げてしまい慌てて下を向く。親子といえども臣下である。
「恐れながら父上、市井の者の暮らしを知ることの何がいけないのでしょう」
「民は優しくすればつけ上がるのだ。お前が何を知りたいのかは知らぬが、
それを奴等が知ったなら、必ず利用しようとするだろう」
「でも民の暮らしを知らなければ政など行えません」
セシルの言葉に王の口の端が上がる。ふん、と鼻で笑って王は組んでいた足を組み替えた。
「強ければいいのだ。力があれば国は大きく、豊かになり、一つにまとまる。そのための資金は民から集めれば良い。
恩恵を受けるのもまた民なのだからな。どうだ、これ以上の政があろうか」
セシルは呆然とその言葉を聞いていた。
今までも父のやり方に疑問を持つことは多かった。
が、どう考えてそれを行っていたのかを聞いたことはなかった。しかしそれは…
「他国への侵略も辞さないということでしょうか」
問う。
百年ほど前からこの大陸には国間の戦争は起こっていない。
むしろ互いに協力して繁栄していこうとする傾向にある。
その要因となった先の大戦後の大陸の荒廃は、各国の会議において大陸を捨てての移住が議題となったほどであった。
自分達の愚かさを反省した国々は、各国代表による統一議会が国間の争いを調停することとなった。
「強い国とはそういうものだ」
しかしグランディウス公国の王はそう言い放った。
セシルが蒼ざめた顔で隣の兄を見る。
兄は静かに控えている。父への疑問など抱いている様子もない。
むしろ嬉々とした表情を浮かべている気がするのは気のせいだろうか。
「申し訳…ありませんでした…」
頭を下げる。顔を上げるのにかなりのエネルギーを要した。退出すべく立ち上がり踵を返す。
視界の端に兄が映る。
その顔は、仄暗い楽しみに満ちた笑みを浮かべていた。
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