「手伝わなくていいのか?」

       「何を?」

       「引越しに決まっているだろう?」

       喧騒を縫って聞こえてきたアリステアの声に、

       「こっちはこっちでやることがあるのよ」

       露店が並ぶ街中を急ぎ足で通り過ぎながらセシルは言った。

       砦から程近い街ルベラ。ここは公国第二の露店街がある街である。当然ながら第一はフェラドだ。

       だからだろうか、街中を歩いているとあちらこちらで懐かしいと感じるものがある。

       それは露天商の大声であったり、おいしそうな料理の匂いだったり、様々だ。

       自分が暮らしていたのは城であって、街中ではない。しかし確かに自分の心はあの街中にあった。今だからこそそれがわかる。

       自然と笑みがこぼれた。

       「人を理由も言わずに引っ張ってきておいて説明もなしか」

       不機嫌そうな口調に、セシルは出かける時面倒くさがって説明をしなかったことを思い出した。

       「あー、うん、そうね、説明ね…」

       振り返る。呆れ顔のアリステアにどう説明したものかと頭をかく。

       知らぬ間に露店街は終わり、郊外へ続く道に入ろうかという所まで来ていた。

       「…」

       「話せないような用事なのか?」

       「いえ…そういうわけじゃないん…だけど…」

       嘆息する。

       「あなた、見るからに現実主義者よねぇ…」

       「当たり前だ」

       間髪入れない返答に、セシルがもう一度嘆息する。しかし彼の言葉には続きがあった。

       「世に言う奇跡や超常現象とやらを信じたりはしない。が、それが目の前で、現実に起こったことならば信じる。

       それが現実主義者というものだ」

       アリステアはそう言って、弾かれたように自分の顔を見上げたセシルに苦笑した。

       「つまりお前は今からそういう類を扱う所へ行くんだな?」

       どうやって信じないものの所に一緒に行ってもらうか、だいぶ悩んだのだろう、

       セシルはあっさりとした口調に逆に困惑しているようだった。

       ほんの少し、視線を泳がせてからセシルが口を開く。

       「…カダムって知ってる?」

       「…ああ」

       それは伝説の村だった。

       かつてこの地に栄えたと言われている古代王国の民の末裔が隠れ住むといわれている。

       彼らは今の公国の民の祖先ではない。自分達の祖先は王国滅亡の後に他大陸から移住してきた人間だ。

       伝説によるとその王国は一夜の内に滅亡したらしい。

       王国の民は公国の民にはない能力を持っていたと伝えられている。

       魔術である。

       それがどんなものなのか正確なことはわかっていない。

       なぜならば公国の民がこの地に辿り着いた時には、生き残った魔術師達はすでに隠れ住むことを決めていたからだ。

       「それこそ伝説、というより眉唾物の話だな」

       路肩の石に座り込み、セシルは苦笑顔のアリステアを自信たっぷりに見上げた。

       「それがね、そうでもないのよ」

       アリステアが顎を引き、セシルを見る。

       「どういうことだ?」

       続きを促され、セシルは得意げに話し始めた。

       「少し前に、書庫で……城の書庫で本を見つけたの」

       一瞬の躊躇いには気付かないふりをする。

       「知ってるとは思うけど…ご先祖様たちとは一度も会っていないはずの彼らの存在がなぜ知られているか。

       それは彼らが残した書物があったからよ」

       「ああ、一度読んだことがある」

       城の司書を半ば脅すようにして見せてもらったその本には、彼らを封印するモノについて書かれていた。

       「私が見つけた本には彼らが隠れ住んだ所について書かれていたわ」

       アリステアが片眉を上げる。

       「それはおかしいだろう?隠れているのにその場所を記してどうする」

       「それがね、その本は彼らが書いたんじゃないの」

       「…誰かが入り込むことに成功したとでも言うのか?魔術で封印された彼の場所に?」

       一度だけ読んだ書物の内容を思い出しながらアリステアは言った。

       「そんなことができるのか?彼らの封印魔術はここから空間ごと切り離すようなものなんだろう?」

       「どうも…その本を読む限りでは、たまに空間が捻じ曲がっちゃってこっちと繋がってしまうことがあるみたい」

       そうか、と頷きかけて止まる。アリステアはセシルの目を凝視して、ゆっくりと言葉を紡いだ。

       「まさかとは思うが、お前、その『たまに』目当てでその場所に行こうとでも言うのか?」

       見つめられたセシルはくすぐったそうに笑って

       「そうよ」

       と言った。

       アリステアは先ほど続きを促した自分に舌打ちしたい気分になった。

       しかしあえて無表情を保つことにする。

       それは彼のプライドのなせる技であった。
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