ひっそりと続くその小路は前よりその緑を濃くしていた。風も今は穏やかである。

       セシルは何をするともなく歩いていた。

       その足がふと止まる。

       「アリステア」

       呼びかけにアリステアは静かに振り返った。

       風になびく銀髪に始めて出会ったときの事を思い出す。

       あの後、四人は彼を連れに戻ったのだが、

       待つように言った藪にはすでに姿はなく、その後探した塔のどこにも見つからなかった。

       どこに行ったのか見当もつかなかった。ただ一つ、最初に出会ったこの小路以外は。

       「…」

       互いに沈黙したまま時が流れる。

       「何か用か?」

       「あ…あの…」

       静寂を破ったのはアリステアだった。言いよどむセシルを感情の見えない顔で見る。

       再び沈黙が続く。諦めたようにアリステアが立ち去ろうと背を向けた。

       「ほんとは医者じゃないんでしょ?」

       背後からの声に、数歩進んだところで歩を止める。

       「城で私を見たって言ったでしょ?」

       「ああ」

       「確かに顔を見たことくらいあっても不思議じゃないわね…城勤めなら」

       振り返るアリステアにセシルが妙に固い顔で畳み掛ける。

       「サイラスに聞いたわ、近衛軍の軍師アリステアのこと。とても優秀だと、彼にかかればどんな劣勢でも必ず勝てると…」

       「軍師は辞めた。二度とやる気はない」

       立ち去るべく踵を返す。が、その腕を?まれ止められる。

       「お願い、力を貸して!」

       しかしアリステアはその手を払いのける。その横顔は何かを拒むようだった。

       「さっきも言っただろう、俺はもう争いには関わりたくは…」

       「あなたの立てる作戦はいつも被害を最小にする」

       行かせはしないとばかりに被せるその言葉にアリステアの目線が鋭くなる。

       驚きだった。帝王学を学ぶ公女とはいえ、それだけでは兵法にそう通じられるものではない。

       城の記録を見ただけではそれがどんな戦いや作戦だったかはわかっても、どのような意図で行われたのかはわからない。

       組織で勉強したのか、それとも天性のものか…

       「あなたが関わった戦い、全て調べたわ。確かにすごい才能よ、みんなが褒め称えるのもわかるわ」

       「そんな賞賛など…」

       「そう、そんなものいらないわよね。勝利なんておまけに過ぎないもの」

       言い返そうとした言葉が喉に詰まる。

       「…おまけ…だと?」

       セシルが真っ直ぐ向けてくる視線に耐え切れず目を背けかけ、ぎりぎり踏みとどまる。

       「そう、戦の仕方なんてよくわからないけど、記録を読めばそのくらいすぐわかるわ。

       あなたは勝とうとしたんじゃない、戦いを終わらせようとしただけ。

       それもできる限り双方の被害を少なく、早く。結果的に勝っただけなのに褒められても嬉しくないのは当然よ」

       セシルの顔を見つめる。あらためて見たその瞳から強い力が見えたように感じた。

       「お前は…」

       口から勝手に言葉が滑り出す。

       「お前は俺に何を望む」

       意識が分裂しているような感覚に襲われる。

       これから自分が言おうとしていることを止めようとする自分とそれを言おうとしている自分。

       「この国の病は重くなりすぎてしまったわ。治すには、戦いは避けられない。

       犠牲になる人だってたくさん生まれる、そんなことわかってるわ。

       なら、できる限り早く終わらせるのが、私達、戦いを始めた者の使命だと思うの」

       セシルが息を吸い、一瞬目をつぶって開く。

       「あなたにはその手助けをして欲しい。勝ち戦のためじゃなく、この国を解放するために」

       言葉が途切れる。

       出会った時とは違う、柔らかな風が吹き抜けていくのを肌で感じながらセシルが続きを待つ。

       新緑が目の前をひらひらと舞い落ちていくのを見るともなしに視線で追いながらアリステアは口を開いた。

       「約束しろ。お前の今までとこれからは多くの犠牲の上に成り立っているということを忘れないと」

       彼女がどう答えるかはわかっていた。

       「誓うわ。そんなこと端からわかってることだもの」

       「だからこそお前はやり遂げなくてはならない。どんなことをしても。その覚悟はあるのか?」

       問う。少し間が空いてセシルがぽつりと呟いた。

       苦しげなそれでいて誇らしげな表情で空を仰ぐ。

       「私には公女として生きる道があったわ」

       「…そうだな」

       アリステアは失ってしまった何かを思い出すようにして言うセシルを無言で見つめた。

       歩み寄る。

       近くに立つと身長差でセシルが軽く見上げる形になる。

       そうして見上げたセシルの顔を上から覗き込むようにして囁く。

       「ならば俺はお前のその罪、共に背負ってやろう」

       驚きの色を浮かべる瞳をじっと見つめる。動揺したのだろうか、その瞳が揺れた。

       「…いいの?」

       「いいも何もお前が手を貸せと言ったんだろう」

       「でも…」

       こちらを見上げたまま、信じられないといった面持ちで立ち尽くす姿に、思わず表情が緩む。

       「あれ?」

       「なんだ?」

       突然不思議そうな顔になったセシルに眉をひそめる。

       そんなアリステアを尻目にセシルは素早くアリステアから距離をとり眺め始めた。

       「ねぇ、あなた何歳?」

       「そもそもいくつだと思っていたんだ?」

       「私より十歳は上かと…でも…私と同じくらい?」

       「…」

       「その仏頂面やめたら?その方が若く見えるわよ?」

       「…ノーコメントだ」

       けらけらと笑い出した少女は村の方へ走り出し、少し離れたところでくるりと振り返る。

       「さ、行きましょ、アリステア」

       嘆息し、彼女の方へ歩き出しながら、アリステアは歴史が確実に動き出していくのを感じていた。





       騎士団が加わり大きくなった組織は、この後広く世に知られることになる。

       フォルトゥーナと名付けられたその組織は後に言う解放闘争の一角を担い、歴史の舞台を駆け抜けることとなる。



       中央暦597年、蒼の月のことであった。

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