アルドは黙って座っていた。目の前には夜具が一式揃えて置いてある。先程王の配下の者が持ってきたものだ。
呼ばれて王の晩餐の給仕をし、そのまま連れ帰られた部屋に入るなりそれを渡され、着替えるように言われた。
それ以上何も言われなくとも自分に何が求められているのかが解る、ある意味効率のいい説明だった。
そもそも自分を呼びに来た時の目つきで何となく察しが付いていた。
それでもここにきたのはサイラスに何か咎めが来ることを恐れてである。
夕食に時間がかかったのでもう夜も遅い。
黙って出てきてしまってサイラスは怒っていないだろうか。いや彼のことだから怒るより先に心配しているに違いない。
好戦的な性格や言葉遣いなどで誤解されがちだが、彼はとても優しい。長年の付き合いのアルドにはわかっていた。
今頃一人で暴れだしたい衝動を堪えているに違いない。助けになど来ようものなら大事になることくらい解っているだろうから。
まぁ、しょうがないか。
と夜具に手を掛けた時、
窓の割れる音が大きく響き渡り、何かが飛び込んできた。破片が大きく飛び散る。
とっさに腕で顔を覆うが破片はアルドのところまでは届かない。
「やりすぎじゃない?」
「こんなもんだろ」
窓の外から声が聞こえ、程なくして声の主が現われた。言うまでもなくサイラスとセシルである。
アリステアは塔近くの藪の中に待たせてある。
「サイラス…セシル…」
呆然と名を呼ぶ。
そんなはずはない、サイラスは自分の部屋でなけなしの自制心を発揮していなければならないし、
破天荒な公女様にいたってはここにいていい人間ではない。
「どうやってここまで…」
「まぁ、色々あってな」
「そうそう、また今度話してあげる」
「って、おい、逃げるぞアルド」
「逃げるといっても…」
どうやらかぎ縄を使って登ってきたらしいがなにぶん盛大に音を出している。降りている間に確実に見つかるだろう。
困ったアルドが窓辺に視線をやったその時、またもや人が飛び込んで来た。
「キルゼ!」
セシルが驚く。
立ち上がり、縄を引き上げるとキルゼは三人のほうを振り返り口の端を上げた。
「あなたここで何をしてるの?」
セシルが問う。それは残り二人の疑問でもあった。
「お前の後を付けてきた」
「警備はどうなってるんだ。今度きっちり叩き直してやらないといけないな」
サイラスが呆れたように手を振り、何かに気付いたのか肩を竦めた。
「まぁつけられていて気付かない俺も俺か」
「ところでこんなところでのんびり話してる暇はないんじゃないか?」
キルゼの言葉に三人ははっとする。
門の方では転がしておいた二人が見つかったのだろう、早くも騒ぎになっているようだが、まだ誰かが来る気配はない。
とはいえ時間はあまりなかった。塔を守る二人も未だ健在だ。
「こっそり登ってきたんだろう?なぜ飛び込む!ガラスを割る!」
「はめ殺しなんて聞いてない」
知らず昔の口調に戻っているアルドの当然の問いにそう言い捨てるサイラス。
セシルが後ろでうなづく。キルゼは吹き出しそうになり慌てて口を押さえた。
さっさと部屋を出ようとするサイラスにセシルとキルゼが続く。
しかしアルドはその場に立ち止まったまま動かない。
「アルド、何をしている」
「私は残る」
逃げるぞ、と言いかけた口が開いたまま止まる。
しばしの間の後、サイラスが呻くように、
「今、なんつった」
「私は行かないと言ってるんだサイラス」
目をそらしながら、しかしはっきり聞こえる声だった。何故かと聞いても答えない。
とはいえ聞かずとも理由はわかっていた。
「キルゼ殿、わざわざ来ていただいたのに申し訳ない」
「いや、まぁ俺は勝手に来たんだしいいが…」
「アルド…」
「セシル、私にも譲れないものがあるんだよ」
セシルが唇を噛む。
「お前の譲れないものとは何だ」
低い押し殺したような声に皆が振り返る。
声の主はこちらに背を向けて扉の前に佇んでいた。その姿にアルドが声を失う。
怒っている。他の誰にもわからなくてもアルドにはわかった。
「お前の大切なものは何かと聞いている。騎士団か、王か、それとも地位か?」
「お前だ」
間髪入れず答える。
「ならば」
サイラスが振り向く。その目は真っ直ぐアルドを見つめ、断固とした意志を示すかのごとく鋭い。
「ならば俺の誇りを守れ。お前が守るべきは俺の名誉ではない」
「…わかった」
うなづく。
自分の答えも、それに対するサイラスの言葉も、最初から決まっていたのではないかと思う。
それくらいあっさりしていた。サイラスも、自分も。
「こんな仕打ちを甘んじて受けてなお誇り高く生きることができるなどと思ったのか」
「いや…すまなかった」
素直に頭を下げたのに満足したのか扉の方に向き直りながらサイラスが獰猛な笑みを浮かべる。
その斜め後ろにアルドが黙って付き従う。
「キルゼ殿」
「何でしょう」
「我らに助力をお願いいたしたいのですが」
「それは、あなた方が我が組織に与したと取られるということ、承知の上でしょうか」
「もちろん承知」
そもそもそのために来たのでしょうと返すサイラスにキルゼは持っていた剣を差し出すことで応えた。
その傍らに少女が立ち剣を重ねる。
騎士達もそれに倣った。
「セシル」
なぁにと首をかしげるセシルにこんな状況には似つかわしくない楽しさがこみ上げる。
そういえば昔三人で悪戯をする前はこんな気分だった。
ふと見ると恐らく同じようなことを考えていたのだろう、セシルも、アルドですら楽しそうな目をしている。
扉の向こうが騒がしい。人が集まってきたようだった。
「さてと」
四人、剣を手に提げゆっくりと歩き出す。
サイラスが扉を勢いよく開け放つ。
左手の廊下の端から走ってきた王の従者が剣を抜き、切りつけてきたが、身内ではないので遠慮なく切り捨てる。
「ランディス騎士団長、サイラスは本日よりこの砦と兵をもって解放組織の助太刀をする!
俺についてくるかこないかは各個の判断によるものとする!騎士達よ、自ら考え自ら選び取るがいい!」
叫び走り出す、アルドを先頭に三人が続く。
砦中を走りぬけ、出会った従者達を切り伏せ、同じように叫ぶことを繰り返す。
しばらくすると砦門が開き、王の従者達が逃げ出し、あっという間に消え去った。
王がどこへ消えたのかは不明である。
さらにぱらぱらとランディスの騎士たちが走り出てきたがほんの数分でそれもいなくなった。
それと時を同じくして残った騎士たちが中庭に集まり始め、瞬く間にいっぱいになった。
サイラスの声を聞き、集まってきたのだ。
もともと広く取ってある中庭なので入りきりはするが暑苦しくなるのは避けられない。
そんな中彼らは、中庭に張り出しているテラスに現われた団長と副団長の姿を認めると一斉に歓声を上げた。
松明に照らされた彼らの顔に不安の色はない。彼らは自分達の団長のすることを信じているのだ。
最初は間違っているのではないかと思っても、結局はそちらの方が正しい選択となるであろうと確信している。
いや、今までの経験からそうだと知っているのだ。
「困ったな、今回のはだいぶ感情的な選択だというのに…」
「ほんとは最初からこうするつもりだったくせに何を言っているんですか」
困ったようにつぶやくサイラスにアルドが苦笑しながら囁く。
その口調は副官のそれに戻っていたがサイラスはあえて何も言わなかった。
それが彼の誇りなら何も無理に元に戻してもらわなくてもいい。
この夜、ランディス騎士団は総員一千のそのほぼ全てのの戦力を残したまま解放組織にその名を連ねることとなった。
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