「こんな所で何をしているんだ」
その声は突然だった。考え込んでいた二人は咄嗟に剣を取り振り返る。こんなところまで接近を許すなど許されるものではない。
「誰だ」
誰何の声には答えずその人物は一歩前に出る。暗がりで見えなかった顔がその一歩で炎に照らされるようになる。
「まったく、無茶にもほどがある…」
そう溜息交じりにつぶやいたのは、あの小路で出会った銀髪の青年であった。
セシルが息を呑む。
青年はこのような砦では見かけない黒いゆったりとした服を着ていた。
階級章をつけていないところを見ると騎士団の関係者ではないようだ。
「あなた…あの時の…」
「…」
「なんだお前ら知り合いなのか」
セシルの言葉にサイラスが驚いたように言い、二人を交互に見る。青年は軽く首を振ってみせた。
「いや…」
「知り合いってわけじゃぁ…」
続けたセシルに、なんだそりゃ、と呆れたように言ってから、自分が立ち上がっていることに気付き、慌てて座り込む。
ついでに青年の腕も掴んで座らせる。セシルもそれに倣った。
「こいつはアリステア、近くの村の医者だ」
「お医者さん…ですか」
騎士団にも専属の軍医がいるはずだがどうしたのだろうか。
「あぁ、じいさんは今近所でお産中でな」
「じいさんがお産?」
「…本気で言ってないと信じてるぜ。で、こいつがセシルっていって俺の幼馴染だ」
ああ、と気のない返事をしてまだサイラスに掴まれたままの自分の腕を見る。
「あのなアリステア」
しばしの沈黙の後、サイラスは青年―アリステア―の腕を離した。
「見なかったことにしてくれないか」
「別に何も言いやしないが現地で、というよりこんな見つかるかもしれない所でのんびり作戦会議をしてて、
見逃してくれるのは俺くらいなものじゃないのか?…特に言い訳が効かない…あんた」
突然顔を向けられ、セシルがびくっと体を動かす。
「えっと…」
「あなたは自分の立場をもう少し理解すべきだ。不法侵入者だ、ということ以外にも」
その言葉にさらに驚く。
サイラスもアリステアを凝視している。
「お前…何を」
知っているのか、と続けようとするのを遮られる。
「先程から副団長が見当たらず、団長が探しているという話を聞いた。その団長はこんな所でこそこそ門を見つめている。
つまり副団長がいないのには悪い意味での事情があって、あの門の内側に副団長もしくは彼に繋がる何かが
あるということになる。それも団長に敵対する何かが…ということだろう?」
アリステアは、表情も変えずに言い切って立ち上がった。
「さて、俺は失礼する。あんたたちも帰った方がいい。二人じゃ無理だ」
そう言って歩き出す。
「待って」
背後から声がかかる。アリステアは振り向いた。
そんな彼をセシルがじっと見つめていた。そのまま口を開く。
「今、二人じゃ…って言ったわよね」
「…言ったな」
しばしの沈黙の後、根負けしたといわんばかりに溜息をついてしぶしぶ話し始める。
言うんじゃなかったという感じがありありと窺える。
「三人いればおそらくは。もっといれば確実だ」
「それ、教えて!」
すかさず手を握ろうとするセシルをひと睨みで撃退する。
残念そうに手を引き、こちらの様子を窺うように見つめる彼女から今度は目をそらすようにして、
「俺はこんなことしたくない」
もう、と聞こえるかどうかの声で付け加える。
「もう?何故だ?」
サイラスが問う。聞こえていないと思っていた呟きが聞こえていたことに舌打ちしつつ、アリステアはそちらに向き直った。
「俺はもう巻き込まれるのは嫌なんだ」
吐き捨てるように言う。苦しそうだ、とセシルは思った。
「だからといって自分は安全なところで高みの見物?
そこに困ってる人がいるのに、自分はそれを解決してあげられるのに見て見ぬふりができるの?」
声は抑えたまま早口で言う。
「私はできなかった。自分だけみんなに守られて安穏と過ごすことなんてできなかった。
自分が何もしなかったことで困る人や不幸になる人がいるかもしれないのよ」
「そうやって何かすることでさらに不幸を招くかもしれない」
「なるべくそれを回避しようと努力することができる。
何もしないでいたら確実に回避できないけど、努力すればできるかもしれない。その分少しはましだわ」
「そんなことができたとしても本当に僅か…」
言いかけた言葉を視線で止められる。セシルの目は今にも彼を射抜きそうな光を放っていた。
「僅か?それの何が悪いの?」
おもわず黙り込む。セシルは彼に構わず、話し続けた。
「一人死なずにすめばその家族や友人は皆喜ぶわ。一つパンがあれば何人かの子供が嬉しくなれる」
今日死なずにいられても明日死ぬかもしれない。一つパンが食べれても焼け石に水かもしれない。
それでも何かしないではいられなかった。
「少なくとも今あなたの力があれば私とサイラスは心強いわ。アルドだって…」
何を恐れているのかはわからないけど、と付け加えたところで黙り込む。
しばしの沈黙の後、サイラスが口を開いた。
「俺はアルドを助けたいし、そのための助けが欲しい。
しかし何らかの咎があるとわかっている事に巻き込むわけにいかないのもまた事実だ」
「…」
「だから手伝ってくれとは言わない。策があればあとはこちらでやる」
「ま、三人いなくっても何とかなるでしょ」
アリステアが目を伏せ、何事か考え始める。
その間、二人は無言で座っていた。考え事の邪魔をしないのは彼らの基本である。
暫くの後、アリステアが顔を上げた、
「わかった」
期待の目で見つめる二人を見つめ返しさらに言葉を重ねる。
「俺も行ってやろう。二人では危ない」
台詞は飛びついてきたセシルによって遮られた。自分を抱きしめ礼を言うセシルに、眉をしかめる。
「おいセシル、離してやれ、困ってる」
言われてようやく気付いたのか、慌ててアリステアから体を離す。
「アリステア、礼を言う」
立ち上がり頭を下げたサイラスを制して座らせ、セシルにも座るよう手を振る。
二人がおとなしく座ったのを確認して自分も座る。
「まず、現状把握からだが、あの…」
門を指差す。
「仕掛けが問題だ。壊して動かなくするか兵士の代わりの重石を置くしかない。
他のルートは却下だ。門以外は山を越えるしかないが、越えているうちに夜が明けてしまう」
「でも、壊すって言っても、作動状態になり続けるように壊さなきゃいけないし、壊す瞬間にも石を抑えてなきゃダメなんでしょ?」
「そうだ。さらに言うと、兵士を力ずくでどかして別の重石を乗っけるにしても一瞬の空白ができてしまう」
門の方を窺いながら淡々と続ける。門の見張りがこちらに気付いた様子は全くない。
やはり同じように門の方を見ながらサイラスが問う。
「じゃあどうするんだ?兵士を騙すにしろ仕掛けを壊すにしろ、作動していない状態ができるんじゃ意味がないんだろ?」
門側に気付かれることはないと踏んだのか、どっかりと座りなおし話を聞く体勢になる。セシルもそれに倣って座り込む。
ただしこちらは周囲への警戒を忘れない。自然と役割分担ができるところはさすが長年の付き合いである。
到底公女の役割ではないが、昔からこの役回りだったのだろう、互いに確認することもない。
「最初に言ったとおり、騙すんだ」
警戒はセシルに任せることにしたのだろう、もはや門を見ることもなくアリステアが説明を続ける。
「兵を騙すのが一番早い。当然の結論だ」
「しかしやつらは俺を知っている。恐らくはあんたもだ」
セシルを指差す。確かに王直属の兵であれば顔を見知っている可能性は高いが…
「私の顔をなぜ知ってると思うの?」
「俺はあんたを城で見ている」
「…そう」
やはり素性はばれているということか。にしてはずいぶんとぞんざいな口のききかただが。
「とにかく俺もセシルも使えないってことだな。でも…」
「俺は知られていない」
サイラスの台詞に続ける。
「しかしお前一人で何をする気だ?」
「服を脱げ」
答える代わりにそう言い放って自分も上着を脱ぎだしたアリステアの顔を見て納得したのかサイラスも外套を脱ぐ。
彼らはそれを交換して羽織った。
「あ…そうね、確かにそれがいいわ」
二人を眺めてセシルがうなづく。
「まぁ、うまいこと合わせてくれ、あんたはここで待機だ…やることはわかってるな」
セシルに確認する。説明するまでもないと思っているようだ。
そんな態度は腹立たしいが実際わかってしまったし、それだけ自分の理解力を信用してくれているのだと思えばまぁ許せる。
「さてと…行くか」
服装を整えサイラスがアリステアに声を掛けた。上着の襟をうまいこと立てて顔が見えにくくしてある。
それにうなづいてアリステアが門へと歩き出す。
茂みを抜け篝火の下を堂々と進んでいくその後ろにサイラスが影のように従う。
しかしすぐに見張りに見咎められた。
当然だ。隠れようとしていないのだから。
「誰だ」
門までまだ少しの距離まで来たところで声を掛けられる。
逆光なのか、彼らは目を細めこちらを窺うようにしている。アリステアはさらに数歩進んで声を上げた。
「俺はランディス騎士団長だ。そこを通せ」
見張りは二人で顔を見合わせた。どちらの顔にも不審の色が窺える。
当然だが、彼らは本物の団長の顔を知っている。
「知らないのか?貴様らの指揮系統はどうなっているんだ。前騎士団長サイラスは王に反逆して処刑された。
俺は先ほど王に騎士団長に任命されたハイデンだ。この通り、団長の証のエンブレムもある」
叱責され、動揺している見張りに近づき外套のエンブレムを見せる。
当たり前だが本物だ。兵士にさらに動揺が走る。
「そちらの方は?」
「医者だ。王が怪我をされた。ここで手当てをするため王も後からいらっしゃる」
「サイラス様…いやサイラスの仕業なのですか…」
「そうだ。まだ反逆者の仲間が潜んでいるやも知れぬのでこの離れで治療することになった。
ここなら警備も万全だ。そうだろう?」
「もちろんです」
「先ほど見たところ王を運ぶ人手が足りぬのだ、ここは俺が見ていてやるからそちらへ回れ、この道を行けば合流できるはずだ」
振り返り、後方の道を指差す。見張りは困ったように再び顔を見合わせる。
「しかしここは二人いないと…さすがに団長に重石代わりをさせるわけにはいきますまい」
「片方はこのものにさせよう。もう一方はそこらの石でもあてがっておけばよい。見張りは俺もやろう」
確かに、と二人は納得した。王の搬送が最重要事項であることは間違いない。
この医者などひ弱そうで満足な人手とは言えない。それなら自分達が行ったほうがいい。
「承知しました」
医者が重そうに適当な大きさの石を持ってきた。
見張りが少し足をずらしたところに石を置き、足を離したところでずらしてしっかりと乗せる。
その後に医者ともう一方の見張りが交代する。石のときと同様に足をずらしたところに自分の足を乗せる。
「さあ行け」
見張りは駆け出した、が、それもつかの間、藪の中から飛び出してきた何かによって一瞬で倒される。
昏倒した男二人に猿轡を咬ませ、縛って藪に放り込み、セシルが溜息をつく。
「何だその溜息は」
こちらへと歩いてくるセシルに医者のふりをやめたサイラスが聞く。
先ほどまで重そうに石を運んでいたひ弱な医者には間違っても見えない。
「なんていうか…複雑よね…。昔はもう少しましなのが揃ってたはずなんだけど…」
情けない、と再び溜息をつく。
「まぁ、うまく行ったんだからいいじゃないか」
「まぁね」
「ぐずぐずしてる暇はない。行くぞ」
いつの間にか石を運んできていたアリステアに急かされる。
二人はくすっと笑うと重石役を交代させるべく働き始めた。
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