グラナ砦は朝からあわただしい空気が流れていた。

       フェラドから東へ半月ほどの距離にあるこの砦は、国境からは遠いが公国の中心地域を守る重要な拠点である。

       その砦を守るのは四騎士団の一角を担う、戦上手で知られるランディス騎士団だ。

       団長サイラスは勇猛果敢、副団長アルドは深謀遠慮と名高い。

       そのランディス騎士団の騎士見習いが砦門前で高らかにラッパを吹く。

       慌ただしかった空気が一瞬にして張りつめた。

       砦門がゆっくりと開き、きらびやかな馬車が入ってくる。

       周りを供の騎馬が取り囲み何人たりとも近寄らせないよう警戒する中、

       再びラッパが鳴り響き、皆が一糸乱れぬ正確さで剣を立て敬礼する。

       馬車は入ってすぐの広場でゆっくりと止まり、馬から降りた騎兵が扉を開けに走っていく。

       馬車から降りてきたのは豪華な服に身を包んだ男であった。男を見て騎兵が姿勢を正した。

       男は騎兵に目もくれずゆっくりとあたりを見渡した。その視線が止まる。

       「グラナ砦にようこそいらっしゃいました、陛下」

       視線の先から声とともに男に近づいてきたのは、まだ若い青年だった。長い髪が風に揺れ、金色に輝く。

       「私はランディス騎士団長を拝命いたしております、サイラス=レンフィードと申します」

       青年は王の前で一礼し後ろを振り返る。

       「副官のアルドです。以後お見知りおきを」

       そう紹介されたのはやはり若き騎士だった。団長と違い、短い銀髪はきちんと整えられている。

       「挨拶などどうでもよい。それより疲れた、早く案内しろ」

       「申し訳ございません。こちらへどうぞ、お飲み物も用意させてありますので」

       王の言葉にサイラスは頭を下げ砦の中へと案内する。後にアルドと馬から降りた騎兵達が続く。

       彼らの背後でもう一度、高らかにラッパが鳴った。



       王のための部屋にはくつろぐための長椅子と近隣の名産の果物が山と積まれた籠が置いてあり、

       床には清潔そうな絨毯が敷いてあった。

       豪華ではないが歓迎の心のこもった清潔な部屋だった。

       しかし王は部屋に入るなり片眉を上げた。

       「なんだこの粗末な部屋は」

       付き人たちもあからさまに苦い顔をする。どうやら王が泊まる部屋として不適格だと言いたいらしい。

       しかし部屋の奥の壁にはを金銀をふんだんに使い、王家の紋章を縫い取った旗を飾ってある。

       家具にしても職人が手間暇かけて作り上げたであろう細工に凝った品々ばかりである。

       この部屋が戦用の砦が用意できる部屋として最大限のものであることは、少しでも砦のことを知っている人間ならすぐわかる。

       王のためとはいえ、備蓄食料や金を減らすわけにはいかない。それは国を守る騎士団の心得として常識である。

       国がなければ王もない。代々の王はこのもてなしを喜びこそすれ怒りはしなかった。

       「これが我が騎士団流のもてなしであります。お気に召されなかったのであれば申し訳なく…」

       サイラスが謝罪の言葉を口にする。しかしその顔は険しい。

       「ご所望のものがあればこのアルドに申しつけ下さいませ」

       「まぁよいわ。下がれ」

       面倒くさくなったのだろう。追い立てるように手を振る。

       二人して部屋を退去する。

       敵が来た時に各個撃破できるよう、狭く作られた廊下を二人並んで歩く。

       ぎりぎり歩けるくらい狭くなってしまうが、彼らはいつもそうやって歩いた。

       団長が副団長の後を歩くことなど当然ないが、副団長が後に従うこともない。

       他の砦では見られない光景だった。

       団長室に戻り、一息つく。

       「あの王様、困ったもんだな。ったく騎士団をなんだと思ってるんだ。なぁアルド」

       「サイラス様、お言葉に気をつけられたほうがよろしいかと」

       くだけたサイラスの言葉に慌ててアルドは辺りを見る。

       王がいるところに細作がいないはずがない。王の警護のために、そして情報収集のために。

       最近では王の悪口を言っただけで罰を受ける。そしてそれらの情報は彼ら細作が集めてくる。

       しかもその対象は平民達だけでない。要職に付く者や貴族までがたった一言で投獄されるのだ。

       騎士団長とはいえ例外ではない。

       こんな軽口で引っ張られてはたまらない。

       「大丈夫だろ。文句を言われたら出てってもらえばいい」

       「しかし我らは王に忠誠を誓う騎士です」

       「…まぁな。…本当に、困ったもんだ…」

       嘆息したその時、遠慮がちなノックとともに騎士見習いの少年が入ってきた。

       少年が言うには王が副団長を呼んでおり、さらにはかなり苛立っているらしい。

       仕方ないとばかりにアルドが立ち上がる。

       ちょっと行ってきます、と言い置いてサイラスを残し少年と部屋を出る。

       「王様はどんな様子だったんだ?」

       問われた少年は困惑顔でかぶりを振った。

       「自分達は陛下はここに視察のためにいらしたと聞いているのですが…」

       「ああそうだ」

       まだ幼いといってもよい少年は困惑顔をさらに深める。

       気になって話を聞いてみると、どうも王は砦を見ようとすることもなく連れて来た女達と戯れているだけだという。

       従者の、おそらくは近衛騎士たちも、あれが欲しいこれが欲しいと我が儘のし放題らしい。

       その有様は少年の目にもおかしいと映るようだった。訝しさと不満がありありと見える。

       「いかがいたしましょう?うちには王のご所望のものの蓄えは…」

       「近くの町で買ってきてさしあげなさい。馬ならすぐだろう」

       金がなくなるのは困りものだが。

       アルドは少年には気付かれないよう嘆息した。



       一方サイラスは別の見習いの少年の報告に、こちらも嘆息していた。

       王の従者達が要求したという品々は高価なものばかりで、さらに言えば今どうしても必要なものとは思えない。

       「親玉が親玉なら子分も子分だな…」

       思わず呟いてしまう。さらに愚痴をこぼしかけたが、さすがにまずいと思ったのでやめる。

       王の悪口などアルドにしか聞かせられない。

       仕方がないので調達するよう指示し、近くの椅子に乱暴に腰掛けると、

       恐らくは同じように指示を出し戻ってくるはずのアルドを待つ。

       少年が退出してしばらくして戻ってきたアルドの顔は心なしか険しかった。

       何か不手際でもあったのか、それとも用意できないものを所望されたか…

       「どうしたアルド、王様は何か言ってたか?」

       「いえ、ちょっと入手困難なものを頼まれただけです。大丈夫、手配はしました」

       にしては様子がおかしい。しかしサイラスはあえて聞かなかった。

       この副官は言ってはいけないこと、言わなくていいことは徹底的に隠し通すが、

       逆に言わなければいけないことは必ず言うと知っているからである。

       言わないなら自分には必要ないことなのであろう。

       「なぁアルド、あの王様は視察に来る気、あったと思うか?」

       話しを変えたサイラスのその言葉に、先ほどの少年の言葉を思い出しながらアルドは話の主に目を向けた。

       それだけで続きを促す。

       「俺達には興味なし、って感じだったからな。挨拶どころか見もしなかった」

       この分だとこの砦の名も騎士団の名も知らない、いや、覚えていないに違いない。

       ここは防国の要の一つだ、その重要性は明らかで、だからこそ王の視察も毎年行われる。

       つまり王は毎年ここに来て、彼らの挨拶を聞き、同じような部屋に通されているのだ。

       しかし全く記憶に留まることはない。忘れっぽいのではなく、端から留めようとしていない。興味がないのだ。

       そう。心の片隅にも残らないのだろう。

       騎士団長たちが、毎年毎年わざと初対面の挨拶をし、同じような部屋を用意していることにも気付かないほどに。

       先ほどアルドに不満を訴えた少年は今年入ったばかりなのでそれを知らなかったのだ。

       むなしいよな、と天井を仰ぐ。

       騎士は王に仕える者である。

       なのにその王は自分達を覚えてすらいない。一介の兵士ではない騎士団長と副長をすら、だ。

       「でも、あいつは覚えててくれたな」

       誰にともなくぽつりとつぶやき、サイラスは眼を閉じた。

       例年と同じならばこれから夜通しで宴会が行われる。

       それまでに少しでも休んでおかなければならなかった。

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