「逃げろ!」

       怒号と悲鳴の交錯する中、炎に揺られキルゼは言った。

       「でも、まだみんなが…」

       「ここはもうだめだ。この間決めた場所で落ち合おう」

       何か言いかけるセシルを押しのけて前に出る。遠くに人の気配がする。

       恐らく味方ではないだろう。残念だが。

       「キルゼは?」

       「俺はもう少し粘ってから逃げるさ。…大丈夫だ無理はしない」

       「なら私も」

       「わがままを言うな」

       同じように前に出ようとするセシルにキルゼは苛立ちの声を上げる。

       炎と彼らを捕まえようとする兵士たちはすぐそこまで来ていた。すでに抜いてある剣を振り、感触を確かめる。

       「兵士たちがわんさかいるんだ。戦えなきゃ話にならん」

       「大丈夫よ」

       「大丈夫なわけ…」

       振り返ったキルゼの言葉はしかしそこで途切れた。セシルの持つ細身の剣が炎に煌めく。

       「お前そんなものどこに」

       「背中に隠しておいたの。ちょっと歩きにくかったけど」

       「ちょっと待てその剣…」

       「話は終わり。来たわ」

       その言葉通り間近に鎧の立てる音と怒鳴り声が聞こえ、兵士が三人姿を現した。

       キルゼは慌てて剣を構えなおす。

       「しょうがねえ。死ぬんじゃないぞ」

       「当たり前よ」

       キルゼが飛び出す。

       「うわっ!」

       「まだいたぞ!」

       「逆賊が!」

       兵士が声をあげ、剣を振ろうとする。が、その時にはすでにキルゼの姿はない。

       「なに…っ!」

       「ぐ…」

       懐にもぐりこみ突き上げた剣が兵士達を吹き飛ばす。倒れ込み動かなくなるのを確かめもせず振り返る。

       しかしいるのはセシルだけだ。

       「これ、鞘が邪魔で動きづらいわ。ちょっと考えないと」

       セシルは背中に手をやり、困ったように言った。
       三人目の兵士はその足元に転がっていた。見たところ死んではいないようだ。

       「峰打ち…なわけないな。両刃だよな、それ」

       「柄で、ね」

       あっさりというセシルの横顔を盗み見て嘆息し、キルゼは天井を仰ぎ見る。

       物騒な世の中だが女性が武器を軽々と扱うなどさすがにそうは聞かない。

       さらにおそらくキルゼと同じ方法で兵士を倒したとなると…

       「お前一体…」

       「剣?ちょっと習ってただけよ」

       軽く言うセシルをしばらく見つめ、キルゼは嘆息する。

       婦人の護身用にちょっと習ったくらいではそこまでのレベルにはならないことくらい解る。

       それを知っていての発言であることは彼女の眼をみればわかった。

       「さ、行くぞ。まだ逃げ遅れた同志がいるかも知れん」

       追求したいところだが今はそんなことをしている場合ではない。諦めて嘆息しキルゼは歩き出した。

       後からセシルがついてくる。

       角から飛び出してきた兵士を柄で跳ねのけ昏倒させ、後ろでセシルが兵士の剣をはじいているのを見てその懐に入り込む。

       鳩尾を突かれた兵士が崩れ落ちる。その向こうに炎が見えた。

       熱風を肌に感じながら踵を返す。もうこの辺りには人の気配はない。

       「これ以上は無駄か」

       「そうね」

       「となれば早々に脱出だ」

       「ええ」

       そう言って出口に向かって歩き始めた二人の前に兵士が次々と現われる。

       が、出会い頭のキルゼの一閃で皆悶絶していく。

       「強いのね」

       「ん?」

       セシルの言葉に思わず振り返る。

       「強いのね、って」

       歩みは止めずにセシルが言う。

       「お前だって」

       「あなたには敵わないわ」

       セシルが苦笑する。

       「あの剣捌き、ちょっと習っただけじゃないな?まさか、同じ剣士を騙せるなんて思っちゃいないだろ?」

       「…」

       出口が見えた。外は逃げ出してきた人間を見落とさぬためであろうか、篝火が盛大に焚かれていてひどく明るそうだった。

       その光を細めた目で見つめ、目を慣らしながら躊躇いがちにセシルが切り出す。その間も歩は止めない。

       「キルゼ」

       「何だ?」

       「実は私…」

       最後の扉を一歩出る。

       そこには先ほどと違う格好をした兵士たちがいた。あちらが鎧ならこちらは折り目正しい制服である。

       「近衛兵!」

       キルゼに言いかけた言葉が喉元で止まり、驚愕の叫びに代わる。

       「なぜ近衛がここに!街の争いには関与しないはずだろう!」

       キルゼもまた叫んでいた。先ほどまでの下級兵士とは違い、近衛兵団は城を守る兵である。

       彼らは更なる訓練を積んだエリート達だ。下級兵士たちが行う市中見回りなど行うはずがない。

       「一.二.三・・・全部で五十ちょっとか・・・うそだろう?」

       「なぜ近衛が・・・」

       ずらりと並ぶ兵達の前に立つ、隊長と思しき男が口元を歪ませ、呟きに答えた。

       「お前たちは公王のお怒りを買ったのさ。足元でちょろちょろとうっとおしいからと我らに討伐を命ぜられたのだ。

       …もう少しおとなしくしておけばよかったものを」

       「お父様が…」

       「何か言ったか」

       「…」

       「まぁ本来なら我らの仕事ではないが、公王じきじきのご命令を受けられるのは我らだけだからな」

       セシルに向かい嘲りの声を上げる。小隊長の証である赤い外套が夜風にはためく。

       その話を聞き流しながらキルゼがそっとささやいた。

       「セシル、何人いける?」

       「…十人くらい」

       「俺が頑張って三十くらいとして…足りないか…」

       「…頑張ればきっと何とかなるわ。生き延びて例の場所で落ち合いましょう」

       とはいえ二人の顔は暗い。さすがにこれだけの近衛兵を相手にするのは荷が重過ぎる。

       簡単に逃げ延びることができるなどとは思っていない。

       キルゼが剣を構えなおす。こうなれば自分の剣の腕と運にかけるしかない。

       「かかれ!」

       近衛兵が一斉に剣を構え、隊長の号令で飛びかかってくる。

       最初は背を合わせ互いに守りあいながら戦っていた二人は、彼らにあっという間に分断されてしまう。

       「セシル!」

       囲まれ、見えなくなった少女を助ける手立てはない。

       生き延びてくれ。そう念じながらキルゼは剣を振り抜き、兵が避けた隙間を縫って走り出した。

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