入ってきた入り口を背にロノが立っていた。
ほんの真後ろまで来ていたのに、気付かなかったことに二人は驚く。
そんな二人を後目に、彼は一歩踏み出し、少し突っかかるような口調で続けた。
「なぜ言っておしまいにならないのです?我々は外の世界と関わる気はないと。土足で踏み込んでこられるのは迷惑だと」
「ロノよ」
殊更にゆっくりとリリトが名を呼ぶ。
「カダムの戒律を忘れたか」
「…いえ、申し訳ありませんでした。出過ぎたまねを…」
言われて、ロノが長に向かい頭を下げる。そこから先ほどまで垣間見えていた苛立ちは見出せなくなっていた。
「戒律?」
セシルが聞く。
リリトはそれには答えず、話し始めた。
「我らカダムの民がなぜにこうやって外界との交流を断ったか、わかるか?」
「いいえ」
「我らは恐れたのだよ。魔術というものの…その力を…な」
どういうことかと聞き返そうとし、セシルはリリトの目に気圧された。
感情よりなお強い意志の力がそこにはあった。
初めて彼女が見せた、心の揺らぎ。
しかしそれも一瞬で消え、元のガラスのような瞳に戻る。
「この話を理解するためには、なぜ私たちの王国が滅びたか、そこから話さねばなりません」
ロノが後を引き継いで話し出した。
「私たちの王国は魔術によって栄えていました。アーヴィンガルズのような魔術施設も多くありました」
神話を語る詩人のように、朗々と、語る。
先程まで見せていた苛立ちなど、そこからは欠片も見いだせない。
「その直接の原因が何だったか、今となっては定かではありません。しかし魔術を使えない人と我ら魔術師が争い始めるのに
そう時間はかかりませんでした。政治を握り大多数を占めていた彼らは、我々が…ほんの少数に過ぎなかった我々が大きな
力を持つことに危機感を持ったのです」
過ぎ去った昔を懐かしむように目を細める。
大昔の話をあたかも体験したかのように話している彼を見て初めて、二人は彼らが見た目通りの年齢でないことに気づいた。
「そうして我々はとある森へと追い込まれました」
先ほどまでいた森を思い出す。
「そうして我々は一世一代の賭けにでたのです」
そしてロノはことさらゆっくりと、その言葉を口にした。
「世界を新しく作ってしまおう…と」
「世界を新しく…作る?」
セシルが聞き返す。
「そう、残った魔術師の魔力を全て集めればできないことではなかった…理論上は」
「理論上?」
「試したことはありませんでしたから。しかし我々が生き残るにはその新しい世界に逃げ込むしかなかったのです」
「それほどの魔力があるのならば、闘って勝てたのでは?」
「私たちの魔術はそのような方向には発達しなかった。魔術の実生活への応用が主でした。
当然、魔力を用いた武器ならありました。しかしもはやそれもほとんど手元にはなく、その場の敵を攻撃できる魔術を
持っている者はほんの僅かでした」
眉がほんの少し寄せられる。
「皆、冷静ではなかった。自分たちをここまで追い詰めた敵を呪い怒り狂う者、絶望に泣き叫ぶ者…」
想像してセシルは身を震わせた。自分たちが今まさに滅びようとしている、その状態で一体誰が冷静でいられよう。
「私達は新世界に賭けることにしました。世界の構築に成功すれば、敵である彼らと世界を分かち、争いなく別々に暮らせる。
一方、失敗すれば魔力を使い果たし、抵抗できぬまま蹂躙される。それは大きな、そして危険な賭けでした」
「…」
「しかし、このまま何もしなければほんの少しの抵抗の後に、我らの歴史は幕を閉じる、そう考えたのです。
そして魔術は行使されました。
空間情報をコピーし、位相をずらし、隔離して定着させる。
空間がそこにあるという情報だけを抽出するので、そうしてできた世界には何もない。…それでも、やるしかなかった」
話し疲れたのだろう、少し間をとるように息をつく。
セシルは黙って続きを待った。
「結果は成功でした。そして…神が現れたのです」
「神?…って、なんだか私さっきから馬鹿みたいね」
相手の言葉を繰り返すだけの自分にセシルが苦笑する。
隣ではアリステアが同感だと言うように頷いている。
そういう彼もそろそろ話についていけなくなっていたのだが。
「そこからは我が話そう」
静かに、しかしはっきりとした声が割って入る。
魔術師の長は相変わらずの無表情のまま話し始めた。
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