「よくいらした」

       カダムの長はそう言うと二人に座るよう勧めた。

       二人は顔を見合わせ、言われたとおりに席に着いた。


       ここに辿り着くまでそうはかからなかった。

       一歩歩を進めた先に突如広がっていた別世界。

       暗い空、冷たい大気、点在する石造りの建物、

       露店街のようなものも無く全体としてひどく寂れた…

       感想をいくつか思い浮かべながら目の前の女性を観察する。

       美しい人だった。先ほどのロノといいここの人たちは皆美形なのかと思わず訊きたくなる。

       そのロノは彼女達をここに連れてくるとさっさと姿を消してしまっていた。

       まぁ、いないほうが楽でいいけど、と独り言(ご)ち、改めて主の方を観察しなおす。


       そうしてセシルはそれに気付いた。


       感情無くこちらに向けられている翠色の瞳。彼女の侍従が物騒な気配を漂わせていたのとは対照的に何も感じられない。

       いや、感じられなさ過ぎる。セシル頭(かぶり)を振った。

       いくらなんでもあれではただのガラス玉だ。

       「あ…あの…お招きいただいてありがとうございます。私はセシル。こちらはアリステアと申します」

       「知っておる。公女セシリアよ」

       セシルが目を細める。

       アリステアが同じように目つきを鋭くしながらそれでも落ち着いた声で答えた。

       「なるほど、さすがは魔術師の村だ。何でもお見通しと言うことですか」

       「全てと言うわけではない。我らとて世界の根本たる海には辿り着いておらぬゆえに」

       「海…」

       「そう、オムニウム・レールム・プリンキピア。全ての始まりの事象たる海じゃ」

       そう説明すると、この話は終わりとばかりアリステアから視線を外しセシルの方に向ける。

       「さて、改めてこちらも名乗ろう。我はこのカダムの長、リリトと申す。

       我らがそなたらを歓迎できるかどうかはそなたらにかかっている」

       二人は顔を見合わせた。

       「どのような意味でしょうか、リリト殿」

       アリステアが問う。

       そのいつもと違う口調に、セシルが居心地悪そうに身じろぎした。

       「我も長い話は好かぬゆえ、端的に話そう」

       リリトはひとつ嘆息すると椅子に背を預けた。

       セシルに目を向け話し出す。

       「このカダムがそなたらの世界と壁をひとつ隔てていることは知っているな」

       「ええ」

       「通常はその壁は越えられぬ。しかし何事にも例外はある」

       「ええ、知っています。ごくたまに空間が歪むとか…」

       「何もなくて歪んだりせぬ。あれは例えるならば波立たぬ凪いだ湖面。不変の空間」

       「そこに波を立てるものが現われなければ永遠に凪いだままというわけですね」

       アリステアの言葉にリリトは目だけで頷いた。

       「しかしそこに『風』が吹いたらどうなる?」

       当然だが波が立つ。例え波紋程度であったとしても『不変』が『変化』する。

       「しかしその湖には『風』など吹かないのでしょう。だとしたらそれは一体どこから吹いてくるのですか?」

       「どこからだと思う、軍師よ」

       アリステアが目を伏せ考え始める。

       「湖面に辿り着くには『風』はその大地に吹かねばならない」

       海を隔てていてもいい。ただ『風』の通れる空間が続いていればいつかは届く。

       しかしこちらの世界と自分達の世界の間には『風』の越えられぬ壁がある。

       「そう、壁に穴があればいい」

       口に出してまたしばらく考える。

       セシルも横で眉を寄せている。

       そうしてしばしの後、彼は伏せていた目を上げた。

       「アーヴィンガルズ」

       呟いたその単語にセシルが目を剥く。

       「え?どういうこと?」

       「つまりはそういうことじゃ。物分かりが良いな」

       リリトは静かに言った。

       「アーヴィンガルズで転移させた物質はお主の言うところの『壁』に作った扉を開け、

       中、つまりカダム側を通って別の扉から出て行くのだ」

       「つまり…」

       「その扉が開いた瞬間、『風』が通り抜けられるわけか」

       「その『風』を我らは危惧しておる」

       転送機を使えば使うほど二つの世界は重なり合い、変化する。

       自らを隔離してきたカダムの民にとってそれは望ましくないのだろう。そしてそれを使おうとする人間達も。

       「お主たちを呼んだのは、お主たちがアーヴィンガルズを使おうとしていたからじゃ。使われては困る。それは解ったであろう?」

       「しかし、なにもわざわざこのようなことをしなくても、放っておけばどうせ起動などできはしなかったでしょう」

       アリステアが首をかしげる。

       しかしリリトは黙して答えない。

       「何かあるのですか?」

       セシルがさらに問いかける。しかしファロゥの長は、その感情の読めない目を何かを考えるかのように閉じただけだった。

       「我が主よ。あなたらしくない。言って差し上げればよろしいではないですか」

       突然背後から声が上がる。二人は驚いて振り返った。



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