「ところでだ」
汗を手で拭いながらキルゼは後ろを振り返った。
そこには先ほどから一緒のアルドとライアに加え、合流したサイラスもいた。
皆同じように汗をかいている。
まだ本格的に暑くなるには程遠い季節だが、今日は日差しが強い。
立っているだけならそうでもないが、少し動くとすぐ汗が流れた。
「ところで、何です?」
アルドが首をかしげる。
「セシルはどこ行った」
「そういやぁいねぇな」
サイラスがあたりを見渡して頭を掻いた。
「ま、そのうちどっかからか現われるって。あいつはそういうやつさ、見かけによらず…」
「おてんば、ですか?」
「そう、おてんばなのさ」
うんうんと頷くサイラス。
相変わらずライアは黙したままである。
キルゼは苦笑して言った。
「おてんば、ねぇ。一体どう育てたらああいうのになるんだか。顔がいいだけにもったいない」
「そんなこと思っていないだろう?」
「まぁな。しかし親の顔は見てみたい。幼馴染のお二人さんは会ったことあるだろう、当然」
「…」
二人の目線が鋭くなる。
しかし気付かれぬよう一瞬でそれを消し去り、軽い口調で返す。
この辺りははさすがである。
「私たちも会ったことはないんです」
「ま、あいつのあの性格は絶対親譲りじゃないと思うけどな」
キルゼも笑顔で、
「あいつはいい性格をしているよ、良い意味でな。ただ…あいつはどうも危なっかしい」
と返した。
確かに、と騎士二人が笑う。
「どうしてそう思うの?」
しかし、
その質問は意外なところからやってきた。
「何が危なっかしいの?」
ライアが真っ直ぐにキルゼの目を見て聞いてくる。
意表を突かれたキルゼは、彼にしては珍しく口ごもりながら答えた。
「なんていうか…よくわからんが無鉄砲すぎるというか…自分に無頓着というか…」
「…」
騎士二人が押し黙る。
自分の言葉がもたらした思いもかけぬ反応にキルゼは驚いた。
今まで彼が見た中での感想を述べたに過ぎないその一言に、ライアと彼女の昔馴染み達が何を見出したのかわからなかった。
確かに彼女の危なっかしさは気にかかっていることであったが…。
しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのはアルドだった。
「キルゼ殿、あなたは何のために戦っていますか?」
突然の質問に、しかしキルゼは即座に答えた。
「家族や仲間のためさ。このままでは俺達の未来は閉ざされてしまう。俺も、俺の親父やお袋も、友や仲間も苦しむだけだ。
それを変えてやりたい。…と、まぁ偉そうなことを言ったが、最初はほんの少しの義理返しのつもりだったな」
「ではライアあなたは?」
寡黙な剣士にも尋ねる。
「…妹」
ほんの少し、わからない程度に首を傾げてから彼は呟いた。
「妹だぁ?お前、妹がいたのか?」
キルゼは目を見開く。ここの仲間の中では彼は付き合いの長い方だが、そんな話は聞いたことがなかった。
が、ここはそういう所だ。
「病気なのに食料も金もみんな持っていかれる。でも持っていかれなければきっと治るから…」
全て言い終えたのだろう、ライアは口を閉じた。
「そうですか…」
アルドが頷く。沈黙を守っていたサイラスがそれに続けた。
「つまりよ、あんたらは皆誰かの為に戦ってるんだ。そうだろ?」
「ああ、聞いたことはないが、恐らく皆そうだ」
当然だ。国を変えたいと思うほどの強い思いは誰かのためにこそ存在しうる。
自分のためだけならば見切りをつけ国外へ出るという選択肢があるのだから。
「俺達は、自分の誇りのためと、そしてあいつのためさ。俺達だって誰かのために戦ってるってことになるな」
「すまない、話が見えないのだが」
「つまりサイラスはこういいたいのですよ。セシルは…彼女は誰かの為に戦っているのではないと」
アルドの言葉の意味を測りかね、キルゼはしばし考え込んだ。
「自分の為だけに戦ってるってことか?そんなヤツじゃないことくらい俺にだってわかるぞ」
そう、彼女はいつだって自分以外のために働いてきた。少なくとも組織の一員として行動を共にしてからの彼女はそうだった。
「違う」
さらに言い募ろうとしたキルゼをサイラスが遮る。
その鋭い一言に彼が怒っていることがわかった。
そしてその怒りの矛先が自分ではないことも。
「違う。あいつは誰かの為、自分の為、そんなもので戦っているんじゃない。あいつは…」
苦しげに唇を噛む。
「あいつはこの国、この民の為に戦ってるんだ。国だぞ国!そんな形でしかないもののためにあいつは戦ってるんだ!」
その苦しげな叫びにキルゼは驚き立ち尽くした。
思いもよらないサイラスの強い感情が、そのやり切れなさを強く伝えていた。
「それは…セシルの…過去ゆえか?」
アルドは静かに首を振った。
「それはお答えしかねます。しかし、彼女はそれゆえに強く、弱い」
『民』、それは『誰か』という特定される何かではない。人のために戦っている、と言う点では同じだ。
しかし彼女は自分をこの闘争の力の一部としかみなしていない。自分がいなくなっても皆が代わりに戦ってくれると思っている。
「だからあいつは自分を大切にしないんだ」
苦々しい顔でサイラスが言う。
「だから無茶も…無謀もできる」
そこまで言って黙ってしまったサイラスに代わってアルドが続けた。
「しかしそれでは駄目なんです」
キルゼは傍らの石にどっかりと座り、溜息をついた。
「誰か、そう誰か。あいつが自分で守りたいと思うヤツが必要ってことだな。守りたい、あいつの帰りを待つ…そんなヤツが、だ」
「しかし私達にはその役割は回ってこない。それだけはずっと昔から解っていました。
…私も、サイラス様も、ほんの子供だったというのになぜでしょうね…」
アルドが自嘲めいた笑いを口の端に乗せて、空を見上げた。
キルゼには見えない、遠くの何かを見つめるように。
「ところで…だ」
湿っぽくなった空気を追いやるかのように手を振りキルゼがにやりと笑った。
その顔に何か面白いネタを察知したのだろう、どこからともなくスキャットが現れ、
「お、何だ何だ?情報ならオレに任せてくださいよ!」
と、小声で器用に主張する。
騎士二人の表情が苦笑に変わった。
「おぅ、スキャット、あの二人、どこ行った?」
「…知らねぇ」
「何だ、結局当てにならねぇじゃねーか」
呆れたように言うキルゼに、向きになってスキャットが突っかかる。
「バカか、男と女が二人っきりでどっか行くんだぞ、“どこ行くか”なんかどうでもいいんだよ“どこまで行くか”が問題だろうが」
言ってから傍らの騎士に気づき、青くなる。
「あ、あの二人に限って、そのような浮ついたこと…」
少し頬を染め、珍しくどもるアルドを鼻で笑ってサイラスが言う。
「さぁ、どうだかな?あいつら、似合いだと思わねぇか?なぁアルド」
「…しかし…」
「はっはっは、よしスキャット、お前に依頼だ」
「おっ、いいねぇ、何です?」
キルゼが、張り切るスキャットを手招きで呼び寄せ、皆で額を寄せ合う。そうして辺りを憚るようにしてにやりと囁いた。
「あいつらがどこまで行ったか、調べてこい。これは正式な依頼だ、何してもいいぜ」
これに、
「”どこ行くか”なんかどうでもいいんだよ。“どこまで行くか”が問題なんだ」
「報酬は弾みますから。ただし我々以外に話したらただじゃおきませんからね」
と、楽しそうなサイラスと硬い顔のアルドが続いた。
ライアは相変わらず黙したまま、である。
スキャットが二つ返事でこの依頼を引き受けたのは言うまでもない。
慌てて駈け出して行く。
それを見送って、キルゼがあたりを見渡した。
「さてと、そろそろ終いか?」
話し込んでいる間に引っ越しは終わろうとしていた。皆が働いている中、上はサボっていたわけだが、
傍から見たら皆で大事な会議をし、スキャットを呼び寄せて何事か命じたとしか見えない。
「ま、明日から頑張るさ」
サイラスが伸びをする。
日が水平線に隠れようとしていた。
皆で見る夕焼けの空は、いつもより鮮やかだった。
そう、
『紅の月』と名付けられたこの季節に相応しく。
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