「”神“というのは我らにとってそのようなものであったという、それだけのことじゃ」

       「では、神ではない?」

       「そもそも神などという存在は証明されてはおらぬ」

       まぁそうよね、とセシルがつぶやく。ただ相槌を打った程度で、話に入ってきたというわけではなさそうだった。

       まず話を理解することを優先したのだろう。賢明な判断だ。

       「それはただのエネルギーだった…と我は考える」

       「考える?」

       リリトらしからぬ言い回しにセシルは眉を寄せた。

       もうずっと寄りっぱなしの眉はしばらく元に戻ってくれそうにない。

       「実際、はきとは申せぬのじゃ。世界を構築していた“何か”が、空間をゆがめたことで変化してしまったのであろう」

       「その“何か”が“神”だと?」

       主の背後に控えていたロノが口を挟む。

       「我々…あの時その現象を調査した研究者は、歪みによって生じた膨大なエネルギーが現出したという結論に達した。

       しかし…私は…あれは神の怒り以外の何物でもないと思っている」

       アリステアがはっと息を飲む。

       「まさか、伝説の前王国の滅亡というのは」

       一瞬遅れてセシルがぴくりと身じろぎした。

       彼女にもわかったのだ。そこで何が起こったか。

       「解き放たれた“何か”は空に浮かぶ城を撃ち落とし、山や川をも薙ぎ払い、人々を消滅させた。一瞬ののち、王国は荒野と

       なり、生き残ったのは地上に住む最下級層の民のそれもごくわずかであった」

       誰も声を発しない。その光景を思い描き、二人は茫然とした。

       彼ら公国の民が遊牧民族なのは、彼らの暮す土地のほとんどが草原、つまり平地だったからだ。

       川もない山もほとんどないあの土地で出来うる最良の事、それが放牧だった。

       遠目にすら山を見たことがないと言う民は大勢いる。それくらいどこまでもどこまでも平地なのだ。実際、今引っ越しの最中の

       あの塔に来て初めて、山や土から湧き出す水を見たという者も多い。

       ぞっとした。今まで普通だと思っていたそれが、途轍もなく異常であったということに気づいたからだ。

       外国に行った時に山も、川も見ているのに。

       その成り立ちについても十分学んだのに。

       なぜ、それらの自然現象が自国で起こらないのか、考えたことがなかったのだ、二人とも。

       「我々は壁一枚隔てた世界の向こう側で、なすすべもなく見つめるだけだった」

       こんなはずではなかった。

       どうしてこんなことに?

       ただ静かに暮らせればそれで良かったのに…



       良かったのに・・・・・・



       「そして、その後、恐ろしい報告が入りました。あの忌まわしき日の数日後に、他国が攻め込む準備をしていたというのです」

       深呼吸する。

       「あと数日…あと数日耐えていれば、我らはあのような過ちを犯す必要はなかったかもしれない」

       「どういうことだ?相手はあなた方に向かっている兵を使わねばならないほどの大軍だったのか?」

       アリステアが問う。

       「いや、兵の数は足りていました。しかし彼らの武器資源は尽きかけていたのですよ。それを察知した他国は…」

       王国の武器は魔術で作った魔法弾などが用いられていたという。もちろんそれを作り出すのは魔術師の仕事だった。

       「思えば彼らは我々に投降するよう言い続けていた。我々を皆殺しにしてしまってはあの国は成り立たなかったのでしょう。

       魔術の恩恵はそこかしこにあり、そして彼らはそれを扱う術を持たなかったのだから」

       ほとんど独白のようになってしまったロノの話を辛抱強く聴き続ける。

       二人とも聴かずにはいられなかった。

       「我らはそんな簡単なことにも気付かなかった。怒り、脅え、我を忘れた。その結果があれだ」

       「その報告以来、我らは感情というものを捨てた」

       割って入った声にロノがはっと我に返り一歩引く。

       「だからお前は未熟だというのじゃ」

       「申し訳ありません」

       恥入ったように再び背後に控えるロノを一瞥しリリトは振り返った。

       「我らがもっと冷静であれば、恐らくはあのようなことはせなんだろう。数日くらいならば戦えた。耐えることができたのじゃから。

       しかし我らは自らの置かれた状況も把握することができず、一時の怒りや恐怖に負けた。我らの背負った罪は、あまりに重い」

       何も言えなかった。

       感情を捨てるなど、そんなことは間違っていると言いたい。その時の彼らに災厄を回避する術はなかったのだと言いたい。

       しかし二人の前にいる女の目はそれを許さなかった。

       感情を捨てられるわけがない。

       押し込められたそれは、彼女の瞳の中で狂おしいほど渦巻いていた。

       「もう、二度とそちらの世界とは関わるまいと今日まで過ごしてきた。それがアーヴィンガルズの道という間接的なものであるに

       しても、それすら我々には恐ろしい所業…言いたいことはわかるであろう?」

       頷くしかなかった。

       暇の挨拶もそこそこに、元来た“道”を抜け、二人はカダムを後にした。



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