「くそっ」
何度言ったか分からない悪態をついてサイラスは頭を抱えた。
アルドがいなくなってすでに数時間が経っていた。彼がこれほど留守にすることは通常はない。
どこかで急病で倒れているか、どこかに閉じ込められているか、誘拐されてしまったか…
そんなことのできる人間はいないだろうが。
いやこれは誘拐だ、サイラスは心の中で訂正した。
権力という名の力でアルドをねじ伏せて攫っていったのだ。
いつの間にか唇を噛み締めていることに気付く。
力をゆっくりと抜き、嘆息する。
がたん。
どこかで音がした。剣に手を掛け音の出所を探す。
窓から手が見えた。その手がひらひらと揺れる。
じっと見ているとその手はがっかりしたように窓の縁に捕まった。
「セシル、いいから出て来い」
こめかみを押さえて呻く。その声が聞こえたのかどうか分からないがすぐに手の持ち主が姿を現す。
「はぁい」
「はぁい、じゃない。何でこんなところにいるんだお前は」
「そんな怒らないでよ」
口ではそう言っているがサイラスが怒っていないことはわかっている。愛称で呼んでいる間は大丈夫だ。
入室の許可を取り窓枠から降りる。何やら感心したような顔で部屋を見渡すのを見て苦笑する。
「なにをそんなに感心してるんだ?お前の部屋なんてこんなもんじゃないだろ」
「何ていうか、出世したんだなって思って」
嬉しそうに笑うその顔がふと曇った。
「そういえばアルドは?」
思わず顔が強張る。表情を取り繕う間もなく看破される。
「何があったの?」
天井を仰ぎ見る。助けが欲しいのは確かだ。そして砦内の人に頼めないのもまた事実だ。しかし…
しばし黙考する。その間もう一人の幼馴染は何も聞かずじっと待っていてくれた。
昔からそうだった。サイラスが静かにして欲しい時に彼女は決して話しかけたりしなかった。
そうしてくれと頼んだわけではない。それでも彼女がその判断を間違えた試しはない。
そばに座って彼が考え終わるまでじっと待つ。その空気が彼はとても好きだった。
大きく息を吸う。この変わらない友に縋るのを恥と思うことそれ自体が恥なのだと思った。
意を決し話し出す。
「アルドが攫われた」
「誰、いいえどんな人たちに?」
驚いた顔をしはするが余計なことは聞かない、そんな彼女らしい返答に安堵する。
「いや、相手は一人だ」
「あのアルドが?そんなに強い人、あなた以外にいるの」
「王だ」
会話が止まる。しかしそれも束の間、少女は続ける。
「なぜ?自国の騎士を誘拐してなんの意味があるの?」
「王は騎士を呼んだんじゃない、あいつを呼んだんだ」
再び沈黙が訪れる。
「あいつがいつまでたっても帰ってこないから王のところへ行った。王は、いや実際はお付きの何とかって野郎が言ったんだが、
行方は知らないが帰ってこなければ新しい副官を任命してやるから好きに選んでおけとよ」
怒りがこみ上げてくる。王がアルドを返すつもりがないことは明白だった。
「そこに彼がいるという確証は?」
「部屋の中にあいつの剣が見えた」
そう、騎士は剣を手放したりしない。団長か王の命令がない限りは。
最後に彼を見たとき、彼は剣を持っていた。
そう、とうなづいて少女が考え込む。
「父上はとうとう男にまで手を出すと仰っているのね」
「まぁ仰ってはいないが…恐らくは…」
「名誉ある騎士団の副団長よ、正気の沙汰じゃないわ」
「…言いたくはないが俺も同感だ」
二人してソファーに座り込む。
男色そのものはそう珍しいことではない。それこそ騎士団などでは従者と稚児とを兼ねているものが多くいると聞く。
しかしよりによって娘の幼馴染の、それも騎士団の副官を、上司である団長に断りもせず侍らそうとするなど聞いたことがない。
「きっと、来ないと俺や騎士団に何かすると脅されたんだろうな」
自分のために彼は黙って行ったのだ。
なんとしても助けなければならなかった。彼のため、そして自分のために。
サイラスは立ち上がり頭を下げた。
「あいつを助けたい。手伝ってくれないか」
頭を下げる相手が反乱組織の一員であることも、
手を組んだことが知れたらここを追われるということも解っていたがどうでもよかった。
顔を上げ、少女と目を合わせ、にやりと笑う。
返事など要らない。
二人は踵を返し、颯爽と部屋を出て行った。
部屋を出た二人はまずアルドがどこにいるのかを調べ始めたが、これはあっさりと判明した。
王の従者に命令され、離れの部屋を用意したとの証言が出たのだ。
その騎士見習いは王の部屋に届け物をしたついでに命ぜられたらしく、その際王の部屋にアルドはいなかったと言った。
そして今、王は部屋にいると。
さらに調べたところ、従者達の中に所在のわからないものが四人いた。恐らくは離れの見張りをしているに違いない。
「一つ問題がある」
騎士団長が廊下を闊歩しながら口を開く。少年従者はそれに付き従うように斜め後方につき、俯くようにして歩いている。
「何が問題?」
顔を見られないように隠しながらセシルが問いかける。
さすがにこんなに煌々と光の照っているところで顔を見られたらひとたまりもない。
「あの離れに行くには一つ門をくぐらなければならないんだがそこには当然警備がいる」
「団長権限で通ればいいじゃない」
「そうは行かないんだ」
苦い顔をする。口の中に虫がいたら粉々になっているだろう、くらい噛み締める。
「四人いないって言うんなら、その門と離れの塔の入り口に二人ずつだろう。奴らが門を守ってるのなら、俺だからこそ
通れないだろうな。あ、倒していくってのは無しだ。うちの門は特製で、見張りが立つ位置が決まっている。
そこから少しでもずれると仕掛けが作動して警報が鳴り響くって寸法だ。
そう…確実に王の腰巾着に届くくらいでっかくな。
門から離れまではだいぶあるから、そこで気付かれるわけにはいかないんだが…」
早口で説明する。もう夜も遅い。王がいつアルドの所へ行こうとするかわからないのだ。あまり時間はなかった。
とはいえ門を通る方法を考えなくてはいけないので、門の見えるところまで行き、
角度的にこちらからは見えるが向こうからは見えないようなところを選んで座り込む。
確かこの区画は巡回はまだ先のはずだ。
「さて、どうするか…」
「あいつらの足元の石みたいなのから足が外れたらいけないってこと?」
門を窺いながらセシルが囁く。その視線は兵士が踏んでいる小さな石に向けられていた。
「そういうことだ。要はあの石が押された状態になっていればいい」
どうやら門の左右にある石がからくりに繋がっていて、見張りが踏んでいることで止まっているということらしい。
曲者や敵が来たならば足を離すだけでいいし、最悪殺されて突破されてもやはり踏んでいられないので警報が鳴る。
倒れた体で押してしまっても左右同時にそうなることはまずない。そもそも倒れるその前に一度足が離れてしまう。
肝心の警報はというと門の上の銅鑼である。門の高さは優に二階以上ある。これはこれで何とかできるものではない。
顔を見合わせ、門を見上げる。
夜は確実に更けつつあった。
next→
return→
top→