青碧の旋風



       城下町フェラド。

       夕刻の陽の中、その街中を駆け抜ける少女が一人。

       少女は細身の身体をしなやかに弾ませ、露天の間を器用にすり抜けていく。

       そんな少女に露天商の一人が声をかける。

       「セシル、そんなに走ったら危ないじゃないか、どうしたんだい?」

       その声に向けられた瞳は橙色に煌めき、細身の顔を縁取る長めの髪は金色に輝いている。

       「ごめんなさい!ちょっと急いでるの!」

       美しい少女は挨拶もそこそこに駆け去っていく。

       それを笑って見送り、露天商たちは店じまいにとりかかった。

       一日の立ち仕事で疲れているだろうにそんな様子は微塵も感じさせず、笑いあいながら片付けていく。

       そんな中、話は先ほどの少女のことに及んだ。

       最近よく見かけるようになった少女は、明るく活発で、誰にでも優しかったので露天街の皆の人気者であった。

       当然、彼ら露天商たちとも顔なじみである。

       ひとしきり話に花が咲いた後、誰かが思い出したようにつぶやいた。

       「そういやぁ、あの子、どこに住んでるんだろうね?」


       その問いに答えられる者はなかった。




       「税を下げるわけにはいかぬ」

       その声に宰相は顔を上げた。思わず声の主を真正面から見てしまいあわてて目を伏せる。

       「しかし…」

       「やつらはまだ金を隠し持っておる。我らが奴らを守ってやっているというのに、奴らは私腹を肥やすことしか考えておらぬ」

       伏せられた宰相の視線に対し、言い放つ男の目は鋭い。

       グランディウス公国の首都フェラドの北側に、街と同じ名を持つ城がある。

       彼らはその中央部―謁見室―にいた。

       その広い部屋の奥は何段分も高くなっており、その真ん中に据付けられている豪奢な椅子に座れば部屋全体が一望できる。

       そこにはグランディウス公国の公王のみが座ることを許される。

       男はその椅子にゆったりと腰を下ろし、続けた。

       「やつらに下手に力を持たせておくとつけあがるであろう?最近は解放組織などと称すものどもも出てきているそうではないか」

       言って見下ろす。その先には宰相しかいない。

       「金など残しておいたら何に使うやらわからん。取り上げておけば良いのだ」

       確かに下のものに過分な力は必要ない。

       それは彼らの驕りもしくは自信となり、上への不満を増生させ、結果、反抗分子の頼みとなるか、自らが反乱分子となる。

       宰相は今までにそのようにして反旗を翻し散っていった者も、逆に下の力を侮りすぎて返り討ちにあった者も数多く見てきた。

       だからこそその論理が間違っていないことはわかっている。現在、国内は安定しているとは言いがたい。

       王の言うように反乱組織も暗躍している。

       彼らに力をつけさせるようなことはしてはならない。それは徒に政治を混乱させるだけだ。

       宰相は王を見上げた。王の目は依然鋭い。

       その目に負けぬよう自分を叱咤し、宰相は口を開いた。

       「国民は皆重税に苦しんでおります。王の言うような蓄えなどあるはずもございません」

       論理はわかっているが、それは相手に本当に力や財力があるときの話だ。

       今までの重税と労役で国民は疲弊し、不満と怒りだけが鬱積している。

       ここでさらに税を課そうものなら窮鼠となり猫を咬むべく立ち上がるであろう。

       その光景は宰相には容易に想像できた。

       「これ以上の課税は民を虐げるのみならず、逆に反乱へのきっかけを与えてしまいかねません」

       「そのときは武力で鎮圧すればよかろう。所詮戦うことを知らぬものたちの集まりよ。

       せっかく食わせてやっているのだ、軍にも働いてもらわねばな…

       これは公王たる我の命令である。税を上げよ。中央軍の予算が足らぬそうだからな」

       「…承知いたしました」

       一呼吸おいて告げられた言葉と暗く光る瞳の色に奥歯をかみ締め、一礼する。

       彼は彼の王をよく理解していた。彼がそのような目をしたときは、何も覆ることなどないと解っていた。

       これ以上食い下がっても無駄どころか逆効果になりかねない。機会をうかがって再度話をしたほうがよさそうだった。

       己の無力さを噛み締め部屋を出た。



       グランディウスの宰相である彼は他国から「魔術師」の異名で恐れられている。

       彼には情熱があった。その情熱に見合うだけの才能があった。

       他国との交渉の際どんなに相手が優位な舞台を作ってきてもいつの間にか相手が要求を飲まざるを得ない状況になっている。

       その手腕はまるで手品のようだと誰しもが言った。異名はそれゆえである。

       まだ壮年の域に達したばかりであるが前王の時代からの宰相である。その忠節は皆の折り紙つきだ。

       「さて、どうしたものか…」

       部屋を出た宰相は一人つぶやいた。焦りに似た何かが湧き上がってくる。

       かつて彼は彼の王に敬愛と忠誠をもって仕えた。

       彼の王は、彼が膝を折るに値する人物だったからだ。

       しかしその息子はどうだ。彼は思う。

       当然だが主への批判など口には出さない。それは家臣としての誇りである。

       けれど敬愛する彼の王の息子は新たな彼の王とはなりえなかった。

       もしなりうる人物がいるとするならば…

       そう考えながら廊下の角を曲がろうとした宰相は彼女に出会った。



       「サリム様、こんにちは」

       突然の声に顔を上げる。そこにはこの公国の公女である少女が立っていた。

       女性も公位継承権を持っているこの国では、彼女は第二継承権を持つ。

       ちなみに第一継承権を兄アリウス、第三位継承権を弟トゥキアが持っている。

       宰相―サリム―は溜息した。しかしそれは先程までの暗鬱たるものではない。

       多少わざとらしいのを自覚しつつしかめ面を作る。

       「セシリア様…いつも申し上げておりますが…」

       「『公女ともあろうお方が、宰相ごときに様などとつけてお呼びになるのは…下に示しがつきませぬ』でしょ?わかっているわよ」

       セシリアはそう言って彼のしかめ面をまね、笑った。サリムはつられて笑いそうになる。

       「わかっていらっしゃるのであれば…」

       「でもね、サリム、私思うのよ。」

       苦笑気味のサリムの言葉にかぶせるようにセシリアは言った。もう笑ってはいない。

       「身分が下だからってなぜ尊敬してはならないの?

       低い身分と言われる人達が頭を下げるのは、その地位にであって人柄にではないわ。

       でも本当に敬われるべきは何かしら?それがわからない人は馬鹿だと思うの。…お父様だって…」

       「セシリア様」

       静かに遮る宰相にセシリアは思わず言葉を失う。

       「ごめんなさい」

       「では、私は先を急ぎますのでこれで」

       言葉の行く先を奪われ、戸惑うセシリアに軽く頭を下げサリムはその場を立ち去る。

       残されたセシリアが考え込んでいるのが見えた。が、構ってはいられない。

       急いで廊下の角を曲がり、数歩歩いたところで目を閉じ、深呼吸する。

       眩暈がしそうだった。

       なぜ彼女が最初に生まれて来なかったのだろう。

       アリウスは武勇に優れ知略も好むが、戦いを好み過ぎる。

       トゥキアは温室で育てられ、世の中を知らない。

       対してセシリアのあの聡明さ、見識、正義感。

       自分の王となるべき器はすぐ目の前にあるというのに…。

       先ほどのつかの間のときでさえ膝を折りたくなる自分を抑えるのに必死だった。

       彼女のあの言葉、遮らなければきっと自分は我知らず跪いていたに違いない。

       咄嗟の一言ですらそうすることに対する恐怖が無意識にさせたに過ぎないのだ。

       そう。あの言葉はかつて彼に彼の王が言ったこと。

       あの口調、あの表情。

       何よりあの強い橙色の瞳。

       全てが彼の王、そしてリーダーたる素質を示しているのに…。

       残念でならなかった。




       しかし彼はいずれ知ることとなる。

       このグランディウス公国を巻き込む歴史の渦と彼女の前に立ちふさがる運命を。




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